ボクシングジム/東京新宿 協栄ボクシングジム

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Profile - 選手プロフィール
 
坂田 健史  (blogはこちら)

2010.2.20現在
■出身地

広島県安芸郡

■生年月日

1980.1.29

■血液型

O型

■デビュー

1998.12.5

■目標のボクサー

特になし

■趣味

音楽を聴く事



■ボクシングを始めたきっかけ

昔から強いものに憧れがあったから

■ボクシングをやっていて良かったと思う事

毎日が充実している
勝った時、普段の生活では味わえない喜びを味わえる

■ボクシングをやっていてつらいと思う事

常に眠い!

■将来の夢

世界チャンピオン

■理想の女性のタイプ

思いやりがあって、男を立ててくれる子

■何か一言

頑張って強くなるので応援してほしい

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全 戦 績

プロ戦績  43戦 36勝(17KO) 5敗 2分

1998
12.5
福田 晃徳 (角海老宝石) ○ TKO 3R
1999
1.18
奥田 昭司 (金子) ○ 判定 4R
5.17
黒岩 宏 (輪島スポーツ) ○ 判定 4R
<東日本新人王予選>
6・29
大村 宗史 (ワタナベ) ○ 判定 4R
<東日本新人王予選>
7.30
野口 哲彦 (北澤) ○ TKO3R
<東日本新人王予選>
9.27
小嶋 武幸 (横浜さくら) ○ 判定 4R
<東日本新人王準決勝>
11.6
萩本 俊雄 (フラッシュ赤羽) ○ 判定 6R
<東日本新人王獲得>
12.18
有永 政幸 (関博之) ○ 判定 6R
<全日本新人王獲得>
2000
2.21
レオ・ラミレス (フィリピン) ○ TKO 4R
4.17
ホセ・クラシダJr (フィリピン) ○ 判定 8R
6.19
キッド・パエス (フィリピン) ○ KO 3R
8.21
久保田 隆治 (沖) ○判定 10R
10.16
ジュン・マグシポック (フィリピン) ○ KO 4R
12.18
金 晟浩 (韓国) ○ KO 3R
2001
4.9
川端 賢樹 (姫路木下) ○ 判定 10R
<日本フライ級王座決定戦>
※日本フライ級王座獲得
7.16
内藤 大助 (宮田) △ 判定 10R
<日本フライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座防衛@
10.15
八尋 史朗 (帝拳) ○ TKO 9R
<日本フライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座防衛A
2002
1.21
仲田 端男 (石丸) ○ 判定 10R
<日本フライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座防衛B
4.30
トラッシュ中沼 (国際) ● 判定 10R
<日本フライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座陥落
7.15
田中 光輝 (八王子中屋) ○ 負傷判定 7R
11.18
金 振浩 (韓国) ○ KO 2R
2003
4.5
トラッシュ中沼 (国際) ○ 判定 10R
<日本フライ級王座挑戦>
※日本フライ級王座獲得
9.15
岡田 一夫 (ロッキー) ○ TKO 7R
<日本フライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座防衛@
12.15
伊藤 克憲 (角海老宝石) ○ 判定 10R
<WBA世界ライトフライ級王座防衛戦>
※日本フライ級王座防衛A、その後返上
2004
6.4
ロレンソ・パーラ (ベネズエラ) ● 判定 12R
<WBA世界フライ級王座挑戦>
2005
4.18
ゴントラニー・ゴーグーマノン (タイ) ○ KO 1R
7.18
児玉 卓郎 (岐阜ヨコゼキ) ○ 判定 10R
9.19
ロレンソ・パーラ (ベネズエラ) ● 判定 12R
<WBA世界フライ級王座挑戦>
12.19
長谷部 弘康 (中外) ○ TKO 6R
2006
3.20
伊波 秀吉 (具志川) ○ TKO 5R
5.15
吉田 健司 (笹崎) ○ 負傷判定 6R
7.17
「 基錫 (韓国) ○ TKO 5R
9.18
孫 京辰 (韓国) ○ TKO 5R
12.2
ロベルト・バスケス (パナマ) ● 判定 12R
<WBA世界フライ級暫定王座決定戦>
2007
3.19
ロレンソ・パーラ (ベネズエラ) ○ TKO 3R
<WBA世界フライ級王座挑戦>
※WBA世界フライ級王座獲得
7.1
 ロベルト・バスケス (パナマ) ○ 判定 12R
<WBA世界フライ級王座統一戦>
※WBA世界フライ級王座統一、防衛@
11.4
 デンカオセーン・カオヴィチット (タイ) △ 判定 12R
<WBA世界フライ級王座防衛戦>
※WBA世界フライ級王座防衛A
2008
3.29
山口 真吾 (渡嘉敷) ○ 判定 12R
<WBA世界フライ級王座防衛戦>
※WBA世界フライ級王座防衛B
7.30
久高 寛之 (仲里・ATSUMI) ○ 判定 12R
<WBA世界フライ級王座防衛戦>
※WBA世界フライ級王座防衛C
12.31
デンカオセーン・シンワンチャー (タイ) ● KO 2R
<WBA世界フライ級王座防衛戦>
※WBA世界フライ級王座陥落
2009
6.14
全 鎭萬 (韓国) ○ 判定 10R
9.21
ディッキー・プトラ (インドネシア) ○ KO 2R
2010
2.20
エリック・ディアス・シレガー (インドネシア) ○ KO 1R

1980年1月29日、広島県安芸郡出身。
マイク・タイソンに憧れて、広島山陽高校入学と同時にボクシング部に入部。3か月で退部し、ロックバンドに熱中
したが、ボクシングへの夢を捨て切れず、1年後に地元の竹原ジムでボクシングを再開。
高校3年の夏休みに上京。ビジネスホテルに泊まりながら関東近郊の20のジムを見学する。
高校卒業に上京し、協栄ジムに入門。
98年12月、プロデビュー戦で3回TKO勝利を収めると、99年12月にはフライ級全日本新人王制覇。
01年4月にデビューから15連勝で日本フライ級王座を獲得。同王座は3度防衛成功し、4度目の防衛戦で判定負け
を喫して王座を手放すも、1年後の02年4月にリベンジを果たして再び王座を獲得。その同王座を2度防衛後、
世界王座挑戦のために返上。
順調にキャリアを積み、満を持して臨んだ04年6月の世界初挑戦では小差の判定負け。
その後の2度の世界戦も全て小差の判定に泣いた。だが、不退転の決意で臨んだ07年3月19日、
ロレンソ・パーラを3回14秒TKOで下し、悲願の世界王座奪取に成功した。

「キングメイカー・最後の愛弟子」
 
「チャンピオンになれるから頑張れ。絶対になれるんだから頑張れ」
広島から上京し、まだプロデビューもしていない18歳の坂田健史を常に激励し続けた人物がいた。
名門・協栄ボクシングジムの先代、故金平正紀会長である。海老原博幸、具志堅用高、鬼塚勝也、
勇利アルバチャコフら8人もの世界チャンピオンを育てた日本屈指のキングメイカーは、早くから坂田の才能に
惚れ込んだ。そして、緊張と不安のうちに過ごす少年の顔を見るたびに、声を掛けて勇気付けたのである。
先代は99年1月、坂田のプロ第2戦に現会長で息子の桂一郎氏と共にセコンドに付く。そして、坂田の勝利を
見届けるとすぐに入院。同年3月26日、帰らぬ人となった。
実は、セコンドに付いた時にすでに先代は末期のガンに侵されており、全身の激しい痛みと戦っていた。リングの
上り下りも大変な状態だったが、それでも、痛み止めを服用し、愛弟子の姿をリングの一番近い場所で見守って
アドバイスを送った。
 試合後、坂田は入院先の病院を見舞う。入院した時点で医師から「余命2週間」との宣告を受けたほど、
先代の状態は良くなかったが、ベッドの上でも考えるのはボクシングのことであり、愛弟子、坂田のことであった。
坂田を見て、先代は手の平を愛弟子に向けた。
「打ってみろ」
 病床の先代を気遣い、坂田がそっと軽くジャブを当てた。
「そんなのじゃダメだよ! ちゃんと打ってみろ」
 今度は少し、強めに打った。すると、先代は満足げに微笑み、愛弟子に語りかけた。
「絶対にチャンピオンになれるんだから、頑張るんだよ」
 8年後、坂田は遂に世界王座奪取に成功する。先代の8回目の命日である3月26日の、ちょうど1週間前の
ことだった。
 坂田は言う。
「天国で見守ってくれた先代の会長に恩返しをすることが出来ました。これで胸を張ってお墓参りに行けますし、
本当に嬉しく思います。協栄ジムに入れて感謝していますし、これからは自分が先頭に立って、協栄ジムを引っ
張っていきます」先代の魂を受け継ぎ、坂田は戦い続ける。

「39ラウンド目に掴んだ栄光」

坂田のボクシング人生は、順風満帆なスタートを切った。
ボクサーの登竜門、新人王トーナメントを勝ち抜いて全日本新人王を獲得。
その後も連勝を続け、デビュー15連勝で日本フライ級王座を獲得した。同王座は3度防衛し、4度目の防衛戦で
トラッシュ中沼に判定で敗れるも、その1年後の再戦で判定勝利。きっちりとリベンジを果たして再び王座を獲得
すると、さらに2度の防衛に成功。
04年6月4日、順調にキャリアを積み上げてきた坂田が満を持して世界王座に初挑戦をする。
序盤、坂田はいきなり窮地に陥る。2回に無敗のWBA世界フライ級王者、ロレンソ・パーラの右アッパーであごを
2個所も骨折したのである。試合後、坂田を診察した医師が「普通なら耐えられる痛みじゃない」と言うほどの重傷
だった。しかし、坂田は激痛に耐えて、すぐさま得意の左ボディで反撃。王者をダウン寸前まで追い込んだ。
勝負は判定までもつれ、2−0で王者が勝利。1者がドローに付ける小差であり、敗れたとはいえ、骨折の影響で閉じない口から鮮血を滴らせつつも「折れない心」で戦い続けた坂田は高い評価を受けた。坂田なら、すぐにでも王座を獲るだろう、と。
 だが、ここから坂田は「世界獲り」までに長い、長い道程を歩まなくてはならなかった。
翌05年9月、パーラとの再戦に臨む。「今度こそ」との強い決意でリングに上がったが、結果はまたしても僅差の
判定負け。さらに、06年12月にはパリでロベルト・バスケスとのWBA世界フライ級暫定王者決定戦に臨み、長身、強打のバスケスを得意の接近戦で攻略し、終盤にダウン寸前まで追い込みながらも、判定結果は1―2でバスケス
勝利。坂田はまたも王座を逃す。
 バスケス戦には「負けたら引退」を公言して臨んでいた。だが、試合内容で上回りながら、不可解な判定による
敗北。納得いかない形で夢を諦めるわけにはいかなかった。
 ここから、事態は二転三転する。
 協栄ジムの異議申し立てを受けたWBAは、バスケスと試合が接戦であったことを認めて再戦を許可。バスケス側も再戦に応じる意向を示したが、やがて「コンディション不良」を理由に再戦延期を要求。そこへ、浮上したのが正規王者パーラとの対戦であった。
「どんな形でも勝つ。これが最後だ」
 最高のコンディションを作り上げて、坂田は4度目の王座挑戦に臨む。
だが、またしても試練が待っていた。王者パーラが試合前日の計量をパス出来ずに失格。しかも、前代未問の2・1kgもの大幅なオーバーである。これにより、坂田は一回り以上大きなパーラとの対戦を余儀なくされたのである。
 しかし、様々な試練を乗り越えてきた男は逞しかった。
「相手がどうこうじゃない。自分のことに集中する」
 王座奪取へ、坂田が燃えた。初回から前に出て得意のボディを強打。2回に坂田がボディを連打すると、パーラはたまらず顔をしかめながら後退する。
 そして、3回開始のゴングにもパーラはコーナーから出てこなかった。坂田の気迫に、パーラの心は折れて
いたのである。
 最初の世界戦から2年9ヶ月。実に39ラウンドの激闘の末に、坂田は悲願のベルトを手に入れた。
リング上で感激の涙を流した坂田は、控え室に戻り、笑顔で言った。
「嬉し涙は生まれて初めて。気持ち良かったです」
諦めずに挑戦を続ければ、夢は絶対にかなうーー。
実に4度目の挑戦の末に、世界チャンピオンとなった坂田健史のメッセージは多くの人に勇気と希望を
与えたことだろう。
次戦は7月1日、東京・有明コロシアム。対戦相手は、パリで不可解な判定負けを喫した因縁の相手、
暫定王者バスケス。
 坂田の闘志に火がついた。
「WBAに同じベルトは二ついらない。一つにまとめて、僕が本当のチャンピオンだと証明します」
 ベルトの統一。そして長期政権へ。
「夢をかなえた男」は、すでに次の夢に向かって力強く歩き始めている。                    

 

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